2023年から「胸骨」を動かすという身体操作で武道の指導をされている
日野晃先生のワークショップに参加させていただいています。
きっかけは先生がTV番組で披露された身体の使い方が
[骨]という点で
骨格ボディメイクのセラピストの身体の使い方と
根本が同じかもしれないと感じたからでした。
先日3回目のワークショップに参加し
その後の懇親会で、日野先生の書籍にサインをいただいたのですが
そこに付けてくださった言葉が
【生きろ!】
WSを通じて伝えてくださっている
とても強いワード。
この言葉で私の中の死生観が鮮明になったので
残しておこうと思います。
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私の記憶にある時まで遡ると
小学生低学年の頃、夜になると
「お母さんがいなくなったらどうしよう・・」
「一人になったらどうしよう・・」という不安で
よく涙を流すことがありました。
今思えば、幼稚園を卒園してすぐぐらいに祖母が亡くなったことで
「死」への恐怖のようなものがあったのかもしれません。
(2歳位で母方の祖父が亡くなっていますが、記憶は強くはありませんでした)
高学年になっても、泣く頻度は減っていたけど
まだやっぱり不安はあって
中学生、高校生になると夢中になれることがあったからか
そんなことを感じる暇もなく、よく眠れていたと思います。
ある程度、年齢を重ねて大人になると
「死ぬ時に一人はイヤ」とよく言っていた気がします。
芸能界の方の孤独死などの報道があったりすると
どんな気持ちだったのかを想像してやり切れなくなっていました。
それでも、私の中で「死」というのはただ漠然と怖いというイメージだけでした。
OLの頃、職場のよくお話していた陽気な営業さんが亡くなられました。
山の中の車の中で一人命を絶たれ、職場に連絡があったのです。
突然のことで、そんなそぶりも全く感じられなかったので、とてもショックでした。
毎日話していたのに、自らの生命を絶つくらいの苦しみを持ってらっしゃることに
気付けなかった自分を責めました。
当時、お付き合いしていた彼に話すと
『自分を責めても仕方ない』と言われ、
「なんでそんな冷たい対応なんよ・・」と思ったけど
今、思えば彼の言葉は正しいし、ちゃんと聞けなかった自分は子どもだったと思います。
それから数年後、父方の叔父、祖父、母方の伯父が相次いで亡くなりました。
(その前に母方の祖母が亡くなっていますが、大往生でとても美しい逝き方だったので
心から”ありがとう”と送ることができました。)
叔父は事故で命を奪われました。
携帯を触りながら運転していたトラックに巻き込まれました。
残された家族は怒りしかないし、そのエネルギーすら湧かない虚無感でした。
その1週間後に祖父が亡くなり、数週間後に伯父。
立て続けに色んなかたちの「死」と向き合う中で
お葬式でお話しくださる僧侶の方のお話が
残された私たちの【生き方】だったのです。
死ぬは「逝く」とも言う
亡くなった日は「命日」
元気でいらっしゃた頃を「生前」という
浄土真宗の考え方では、お浄土で生きている
私たちの中に言葉や思い出として生きている
だから、残されたものは教えてもらったことをどう生かしていくか・・・
このお話を聞いて、私の中の【生きる】ということに
はじめて意味を持った気がします。
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私は、自分が当たり前のように母になって命をつないでいくと思っていました。
ある程度の年齢でリミットを感じ、急いで結婚。
初めて他人と生活をして、暮らしの違いもすり合わせられると思っていたけど
向き合うということができない人でした。数年がんばったけど無理だったので離れました。
結婚は、急ぐもんじゃないことを学びました笑
この頃から、
生きていても「2人でいるのに1人」ということもある。
「2人でいても、死ぬ時はみんな1人で死ぬんだな」と思うようになりました。
そう思えたら、頭の中が「死」ということより
「生きる」ということへの比重が大きくなった気がします。
ヨガで自分の身体は、できるだけ自分で整えたいと感じ(自分への信頼)
骨格ボディメイクで、自分だけではどうにもできないことがあることを知り(他人への信頼)
日野先生の武道で、「関係する」ということの総合的な本質を体感させてもらっています。
先生のメッセージ【生きろ!】は
私の今生のテーマで、人生の目標となる言葉。
この身体・魂・エネルギー
《生命》をほんまに思いっきり使えてるか?!
そう言ってもらってる気がしてるのです。
ここまでお読みいただいた皆様、ありがとうございます♡
思いっ切り、いまを生きて、一緒に人生楽しみましょー!!
Body Mind Harmony
~Toshie~